動物実験は本当に必要か?
誰のために存在するのか?

実験動物と深く関わる人物と話す機会をもらった。その歴史をみてきた人だ。実験動物の福祉を整える為にボランティア活動も積極的に推進されている。

しかし彼らと話すと必ず「医学の進歩に動物実験はなくてはならないもの」がスタート地点になっている。しかし今の日本人の健康面や精神面はどうだろうか、果たして動物実験が本当にそれに貢献してきたのだろうか?

日本人の病気は増える一方で、医療費の赤字は今や3900億円(2010年発表)にものぼる。動物実験のおかげで医療が本当に進歩したのならこの数字はおかしくはないだろうか。いったい日本の医療はどうなっているのだろうか。

日本人の健康状態や日本の医療に知識のある方々はよくご存知だと思うし、今や知りたいと思えばすぐに調べる事ができるはずである。これは動物愛護の話ではなく、私たちや私たちの子供達の為に必ず役立つ情報なので是非とも耳を傾けてほしい問題である。

だけどもし、もし動物実験の成果で人の病気が治ったとしても私はやはり動物実験は無くさなければならないと確信している。動物と暮らす人なら分かると思うが動物も人と同じように感情がある。寂しがったり、悲しんだり、誰かを深く愛するし、ヤキモチもやいたり、ふざけたりもする。苦痛や恐怖も感じる。これから起こる事に対する想像力も持っている。

ただ四つ足で歩き、全身が毛で覆われ、人の言葉を話さない、というだけだ。

人と動物の間にどんな境界線があり「実験」などに使おうと思えるのか…

これほどまでに人の生活も精神も発達し、文化人と呼ばれる人も増えているこの現代に何故こんな野蛮な行為が許されているのか分からない。

犬や猫、猿、うさぎ、ヤギ、ねずみなど私たちと身近な動物も使われる。厳密な結果を得る為に麻酔等使用されない事も多い。どんなに苦しくて恐ろしいだろうか。そんな苦痛を耐えきるパワーは私には絶対にないと思う。

毛皮や食用にと養殖され、残酷な方法で殺される動物もいる、不要として殺されるペットも、決して許されることはないと思う。

しかし、もし私が動物なら実験に使われるのが一番恐ろしいと思う。その人の足下にへばりつき「もう殺してほしい」と懇願することだろう…..

新薬開発に対して私たちの税金がどれくらい使われ、どんな動物が、どんな実験に使われ、どのような結果を見つけたのか、誰もそれを知る術がない国。監査も登録も免許もない、自主規制に任せている国。

少なくとも動物を苦しめ命を奪っている事には間違いないはずである。そんなずさんな対応が許されて良いとはどうしても思えない。

 

動物の権利を主張するばかりではなく、動物実験が人間にとっても無益(それどころか害である)と訴える科学者も多くいます。これだけの実験が日々繰り返され、意味があるものならなぜ病気は増えているか?の問いに答えられるはずです。
動物で実験したデータが人間に当てはまることはありません。
医学的根拠

また日用品や化粧品のためにも日本では多くの動物が犠牲になっています。
動物に対して実験しているのは「毒性試験」であり、動物実験している製品ほど危険だといえます。
動物達は想像を絶する苦しみの末に殺されゴミのように捨てられています。このような毒物を私たちも日々体に入れていることになります。
誰の為にこのような現実が受け入れられているのか、もう一度考え直しましょう。
私たちが目を背けて知ろうとしない限り、この現実は変わる事はありません。

 

EU(欧州連合)の動向

●2009年3月に化粧品の動物実験が廃止に!
化粧品業界の強い抵抗に対し、欧州の動物愛護団体やEU市民の「日用品の動物実験反対運動」により、ようやく以下のような化粧品指令第7次修正案が承認される。

[販売禁止]
・ 2009年3月・・・動物実験が行われた化粧品および原料の販売禁止(ただし、薬物動態、生殖発生毒性、反復投与毒性の3つの各試験領域については例外)

[実験禁止]
・ 2009年3月より、EU域内での、化粧品の原料における動物実験の禁止
・ 2013年より、化粧品の安全性試験における残りの3つの例外領域での動物実験の禁止
詳細

ナチスの基本的思想の一つに「人種主義」がある。
高等な人種と劣等な人種を区別し、差別したのである。
日本軍七三一部隊にも同様の思想があった。
現在動物実験を支持もしくは黙認する人々は、同じ論理で話をすることが多い。
人種差別ではなく種差別の思想に基づく論理である。
人体実験同様、動物実験も許されるべきではない。

ARC様サイトより抜粋